播磨みどり

Year Without a Summer

2017年06月30日(金) - 2017年08月05日(土)

《Year Without a Summer》 2017 Xeroxed archival paper, archival tape ©Midori Harima / MAHO KUBOTA GALLERY
《Year Without a Summer》 2017 Xeroxed archival paper, archival tape ©Midori Harima / MAHO KUBOTA GALLERY
《Year Without a Summer》 2017 Xeroxed archival paper, archival tape ©Midori Harima / MAHO KUBOTA GALLERY
《遠視》 2017 ゴミ、ミクストメディア 45.8 x 31.5 cm

MAHO KUBOTA GALLERYでは6月30日より播磨みどりの新作展「Year Without a Summer」を開催いたします。

2001年に渡米、最初はサンフランシスコで、2005年からはニューヨークに拠点を移し、播磨みどりは作品制作を続けています。

播磨の作品では、雑誌や新聞など既存のメディアに溢れるイメージを抽出してアーカイヴァルペーパーなどにゼロックスコピーし、それらを張子状に組み合わせて彫刻を制作する手法がよく知られています。初期の頃より特徴的なこの手法により、渡米後翌年の2002年にサンフランシスコのNew Langton Artsでの「The Bay Area Award Show 2002 」というグループ展では、威嚇し合うように向かいあう二頭の巨大な虎と、すこし離れた場所でいななくように立ちすくむ子鹿、という強烈な視覚体験をあたえるインスタレーションを発表しています。2002年は前年のアメリカ同時多発テロ事件により、世界の対立構造と権力の地図の概念が劇的に変化をとげていく渦中の年でした。

2008年の「アメリカ」と題されたインスタレーションでは、同じ技法で制作された12頭のコヨーテの作品が発表されました。薄い半透明のカーテンごしに見えるコヨーテ達の視線は一斉に円環の真ん中の中空に向けられており、コヨーテの視線の先に何があるのか、鑑賞者が立ち止まって考えるきっかけを与えました。近年は民主主義と経済の問題に着目しゼロックスコピーの技法から離れて、日々の生活の中で見つけたゴミを形どってモビールの作品にした「Roadside Picnic」という展示を発表、さらに1年間、毎日自分が消費したゴミという括りで素材を絞り、1点ずつ制作したオブジェを写真に記録した「Democracy Demonstrates」というプロジェクトを韓国国立現代美術館/ゴヤンレジデンシー(2015年)やアメリカ・バークレーのKala Art Institute(2017年)で発表しています。初期の作品から近年のゴミという社会の「厄介ごと」を扱った作品に至るまで、播磨の作品には私たちの世界を表象する文学的なアプローチと、路傍の片隅にあってともすれば見逃してしまう美を捉えたいというアートの原初的な動機が顕著に表れています。そこには、不条理で大きな力のうねりと、それに対峙する個人の思念という構造が多くみられます。原始の時代より個人は、人間の想像力をはるかに超えた自然の脅威に、そして現代の社会では制御不能な権力対立の中で、影響され、翻弄される存在です。逆説的に個人はその不条理で大きな力の一部でもあるのです。その事実を起点として作品は播磨自身、あるいは鑑賞者が投影する個人という小さな存在が持ち続ける「未だ答えが見つからない問い」を浮かび上がらせているのです。

今回の個展のタイトルである「Year Without a Summer」とは約200年前の1816年に北ヨーロッパや北米を中心に実際に起こった、夏のない、異常気象の年のことをさします。その年の7月、8月には北米の川で凍結が見られ農作物が壊滅的な被害を受けたと記録されています。原因は前年、遠く離れたインドネシアで起きた火山噴火だと言われています。一方、展覧会のための新作は播磨が昨秋訪れたポーランドへの旅の経験をもとに構想されました。「ここ数年の自分の興味は資本主義経済とりわけ消費の問題、それを内面化した制度に行き着くことが多くなりました。商品を買うということで、私たちは何に参加しているのかということが、今回の作品の大きな動機になっています。」と語る播磨は、その興味の延長線上でポーランドを訪れることを考えました。「未だ答えが見つからない問い」の答えのヒントを旅の過程で見つけられないかと考えたアーティストは、結果としてその地でさらに表象不可能な二つの「圧倒的にわからないもの」に対峙することとなりました。その地でも待っていた「未だ答えの見つからない問い」、それらは遠い国の絵空事ではなく、現在の私たちの地図とどこかで確実につながっているのです。

本展では3体の人物像の彫刻作品と、彼らの持ち物と想像されるバッグや靴などを形取った彫刻作品、そしてポーランドから持ち帰ったもののフラグメンツで構成されるコラージュ作品が全体としてのインスタレーションを構成する形で展開されます。すでに過去のものとしてそこにある印刷物のイメージを物質化し、そのイメージを別の形で現前させることで「圧倒的にわからないもの」を立ち上げる。その作業はアーティストの個人的な体験を大きな物語と接続させ、現代の地球上の理解不能な巨大な力の姿とその行く先、そしてその中で揺れ動き問い続ける個人の思念を丹念に描きだす挑戦でもあります。播磨は「今となってはもう取り返しのつかない、圧倒的な解らなさを持ったイメージを前にした時の視点の動き、写真に読み込める断片を頼りになんとかその出来事を理解しようとする能動的な視点と意識の動き、または商品を選ぶ時のとても限定的で、他者の価値観を内面化した、本質的にはとても受動的な視点と意識の動き、そういった相反する解るものと解らないものとを一つの立体の上に定着させられないかを試みました。」と言います。

地図上のひとつの地点で起きたある出来事が間接的に、遠く離れた別の場所に宿命的な影響をもたらしていく。「Year Without a Summer」という言葉のもつ不条理を展覧会全体を覆うメタファーとして引用しながら、その不条理にまっすぐに立ち向かい、そこにひとつの答えのきっかけを表出させることはアーティストの新境地を開く挑戦となることでしょう。アンビシャスなまでに大きな主題に取り組みながら論理的に逸脱することのないソリッドな態度で制作に臨み、アートの本質であるアーティスト個人の美への意識と感情とを排除することなく丹念に作り上げた作品群が真夏の東京に冬を出現させます。