次回の展示
NØ
菅雄嗣
2026年6月12日(金) - 7月18日(土)
MAHO KUBOTA GALLERYでは、菅雄嗣による弊ギャラリーでは2度目となる個展を開催いたします。新作の絵画およびインスタレーションを展示予定です。
菅は、鏡面状の支持体に厚く絵具を重ね、それをペインティングナイフで削り出すように線を刻む彫刻的な手法によって絵画を制作してきました。西洋絵画を参照した静物画や名画のオマージュ、建築や道路などの構造物を含む風景などを題材にしながら、絵画における空間やイメージの成り立ちを探求してきました。
近年、アーティストが強く関心を寄せて作品の主題として扱ってきたのが「リミナルスペース」という概念です。これは、深夜の商業施設や閉園後のテーマパークのように、普段は人々で満たされている場所が不意に静まり返ることで現実感を失い、どこか夢の中のように感じられる状態を指す言葉です。菅はネットミームに見られるいわゆる「リミナルスペース」的な風景を作品にするだけにとどまらず、その概念をアートの文脈に持ち込み、エドワード・ホッパーなどの作品に見られる構図や空間構成をトレースし、それらを拡張・反転させることで、既視感を伴うリミナルな風景として描いてきました。
菅はさらに、こうした現実感の揺らぎの表現を平面作品の外にも向け、展示空間そのものへ拡張していきます。実際の展示室をCGで再現し、その映像を会場内に投影することで、現実の空間に映像が重なり合い、空間そのものが拡張されていくインスタレーションを展開しました。そこでは、鑑賞者は現実と仮想の狭間を行き来することになります。
このように菅は、ここ数年の発表においては、現実と非現実、存在と不在といった境界が混ざり合うような“あいだの状態”に関心を向けてきました。本展では、リミナルスペースを題材とした新作絵画に加え、アルファベットをモチーフとした26点の小作品によって構成される新シリーズ「NØ(ノー)」を展示いたします。
「NØ(ノー)」の各作品は左右二つのパートから成り、一方は作家自身の手によって描かれ、もう一方はその絵画をもとに3Dプリンターで出力されています。手による絵画と機械的に生成されたイメージが一つの画面の中で接続されることで、「オリジナル」と「コピー」の境界も揺らいでいきます。また、「Ø」は数学における空集合の記号で、「存在しないこと」を示す概念です。タイトルの「NØ」には、NOの否定を打ち消し線で取り下げ、「ある/ない」を同時に存在させる言葉遊びの感覚が込められています。
さらに、これらの絵画に加えて、プロジェクターを用いたインスタレーションも発表予定です。
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菅雄嗣の過去、現在、未来——「NØ」展に寄せて
山本浩貴(文化研究者)
「リミナリティ(境界性)」概念を軸に、美術家・菅雄嗣は、その絵画制作を通じて、「現実と虚構」、「表と裏」、「図と地」といった二項対立を反転し、分離し、溶解してきた。しばしば言及され、その作品に室内または屋外の空間として頻出する「リミナル・スペース」は、「ある」と「ない」のはざまに存在する何かだ。例えば、実在しないリミナル・スペースを3DCGに起こし、それを基にして絵画を制作するなど、彼は自身の作品を通して現実と虚構という二項対立を脱構築し続けてきた。本展で披露される菅の新作は、概念的に、「実像(ある)」と「虚像(ない)」の境界を極限まで推し進めた絵画群である。これまでの作品でモチーフとして現れていた具体的なイメージは消失し、代わりに姿を見せるのは、純粋な抽象的概念としての記号である。
菅雄嗣が新たに開始した「NØ」シリーズは、「A」から「Z」までのアルファベットが描かれた絵画で構成されるが、その制作プロセスは複層的だ。作品の半分——上下に分かれていることもあれば、左右に分かれていることもある——は作家自身の手で描かれ、もう半分はそれを機械(3Dプリンター)が模している。両者を合成することで成立する「NØ」シリーズの絵画群は、一見すると「人間と機械の共作」といった牧歌的なビジョンを示すようだが、それ以上の問題提起がある。テクノロジーの発展は目覚ましく、現行の3Dプリンターは厚塗りのストロークをほぼ完ぺきにコピーするが、一定の厚みをもたない——すなわち、数値化されない——ディティールは再現の対象外だ。こうした性質(それを「テクノロジーのバグと言い換えることができるかもしれない)を巧みに利用し、菅はキャンバスに非対称な形状のアルファベットをも浮かび上がらせている。
「NØ」シリーズのタイトルに空集合を意味する「Ø」が含まれているのは、菅独特のユーモアと言えるが、それはこのシリーズの核心を突くと同時に、これまでの彼の作品との一貫性も表している。集合論で「何も含まない」状態を1つの集合として扱う菅はこの概念は、まさに「ある」と「ない」の間隙を探ってきた菅の芸術実践を象徴している。人類学者のヴィクター・W・ターナーが「リミナリティ」を「どっちつかずの」「あいまいで不確定な属性」と定義している通り、この作品は境界性という概念を軸に、菅の活動の過去から現在へと至る一貫した連続性を明確に示す。
さらに、新作インスタレーションでは、その未来への展望も示唆されている。そこでは、「NØ」シリーズでは1つの作品に統合されていた実像(作家自身の手による部分)と虚像(3Dプリンターで制作されたコピーの部分)が2つに分離されている。しかも、「実像」はプロジェクターによる投影で示されて「虚像」と化し、「虚像」は実物が展示されて「実像」としてそこに存在する、という転倒の操作が加えられている。虚と実を撹乱するトリックスターとしての菅の真骨頂が凝縮されたインスタレーションとなっているのだ。