武田鉄平

Paintings of Painting

2019年09月03日(火) - 2019年10月12日(土)

《絵画のための絵画018》2019年、キャンバスにアクリル絵具、油絵具、91x72.7cm
《絵画のための絵画019》2019年、キャンバスにアクリル絵具、油絵具、91x72.7cm
《絵画のための絵画020》2019年、キャンバスにアクリル絵具、油絵具、91x72.7cm
「絵画と絵画、その絵画とその絵画」展示風景、2016年(KUGURU、山形市)

MAHO KUBOTA GALLERY では9月3日より武田鉄平の個展「Paintings of Painting」を開催いたします。約10点のポートレイト絵画を展示いたします。
山形のアトリエで人知れずおよそ10年に渡り自分の信じる絵画を求めて絵筆を握っていた孤高のアーティスト、武田鉄平の作品は2016年の夏に山形駅から程近いとんがりビルの多目的スペース「KUGURU」での初個展をきっかけに世に知られることとなりました。特別な広報活動がなかったにもかかわらず、展示された10点の肖像画のインパクトは個展を見た人々の間から徐々に広がりを見せ、遠くから山形に足を運んで作品を鑑賞する人たち、そして作品をコレクションする人たちへと、大都市を中心とする情報に重心が偏りがちな日本のアートシーンではあまり例のない展開を見せてゆきます。

「武田鉄平の作品には何かある」。そう聞いて実際に武田の作品の前に立った人々の多くは、あらかじめ見た美術雑誌上の小さな作品写真や、SNS上にあげられた画像によって知り得た情報をはるかに超える作品の存在感の強さにしばし作品の前を動くことができませんでした。絵画が終わって久しいと言われる現在において、いったい何が武田鉄平の作品を特別なものにしているのでしょうか。

武田の絵画の主題は人の顔であり、肖像画、あるいはポートレイトと呼ばれる絵画におけるもっともスタンダードな形式のもののひとつと言えるでしょう。描かれる顔は、しかし強い筆致で抽象化されており、かつて誰かの顔であったにせよ、絵となった今は明確な匿名性のもとに成立しています。離れて立ってみたとき、人はそれがしっかりと筆で描かれた絵具という物質性を担保した絵画であることを認識しつつ、その筆致の鮮やかさや絵具の流麗なストロークの痕跡、光をひろう絵具のボリュームのツヤを認識することでしょう。それは私たちがすでに知っている絵画の様式であり、織り込み済みの、絵画との関係性の上に成り立つ鑑賞の距離感です。この時点でも十分にポートレイトは強いメッセージを発しています。あなたは今絵画を見ている、というとてもシンプルなメッセージを。そして一歩二歩踏み込んで絵画との距離を縮めていったとき、鑑賞者は悟るのです、絵画を見るということがどういうことか、と作品が問うていることを。

それはけして観念的なことではなく、絵画の制作手法に深く関わっています。
武田の作品は次のようなプロセスで制作されます。まず、ひとつのエスキース(下絵)が制作されます。それはアーティストが今まで呑み込んで来た膨大なレファレンスを下地として、それから、今なにを描きたいかという欲求に素直にしたがって生まれる、ある程度偶発性をともなったエスキースとして生まれます。同じイメージを20から50枚ほど描いてゆきます。その中でただひとつ、「絵」として認められたものが武田の作品の「主題」になります。描かれた絵を、主題として再び絵にする。言葉にするとシンプルな実践ですが、ここに至るまで武田が向き合ってきた芸術上の葛藤の結果生まれたプロセスであり、そこに作品の強さの秘密が隠れているように感じます。

ここではそこから先の制作プロセスには言及しませんが、最初のエスキースと長い時間をかけて向き合った結果として生まれる作品上に、絵画のシステムや様式美、情動を動かす装置、それらが見て取れます。そして遠景からの視点で私たちが絵画の質感と捉えていたアウラはすべて、武田のもくろみのもとに創造された、本来はそこに存在し得なかったもの、すなわちゼロからの創造物だと知るのです。それはエスキースとはまったく異なるものとして存在し、私たちと絵画の関係性にこそ光をあてるのです。

本展では武田が約1年半をかけて向き合った10点ほどのポートレイト作品の展示を予定しております。ポストトゥルースの時代にあって絵画と実際に向きあうことにどういう意味を見出すのか、それを体験する30日間の展覧会となります。