村井 祐希

村井のいっぽ

2018年06月28日(木) - 2018年07月28日(土)

「Phantom to the past」展示風景、ホテルアンテルーム京都、2017年 撮影:表恒匡

MAHO KUBOTA GALLERYは23歳の鬼才、村井祐希のまったく新しい概念と物理的な成り立ちによる絵画群を紹介いたします。 村井の表現世界の恐るべき突破力は、多摩美術大学在学中の2015年に初めて公に作品を発表して以来、すでに3つの個展と瀬戸内国際芸術祭を含む17の展覧会で作品を発表し、日本国内の重要な若手アーティスト公募展3つで立て続けに受賞という濃密なキャリアにも現れています。制作の実践だけでなく、過剰なまでのテキストの執筆、そしてそのライフスタイルも含め、若くしてすでに全身芸術家である彼の制作の実践は果たしてコマーシャルギャラリーというアートの一つのプラットフォーム上で成立するのでしょうか。この個展はそういった視点からも問いを投げかけるものであります。

村井はこれまでも既存の絵画のあり方を突破するための作品群を制作し続けてきました。その命題に挑戦すべく自ら開発した最大の武器が、オリジナルのメディウム、「オムライス絵具」です。既存の絵画のメディウムの多くが絵画の枠組みの中で表層の視覚情報を操作する画材に過ぎなかったのに対し、シリコンと油絵具、あるいはアクリル絵具を混ぜ合わせた「オムライス絵具」はそれ自体が主体性をもった能動的なマテリアルであると村井は言います。絵画の表現の土台であるキャンバスからの自立の可能性をこのマテリアルに見出し、村井はこれまでも「着る絵画」、「回転する絵画」、「鑑賞者に踏みつけられ主体を失くしながら再生する絵画」、あるいは「空間を覆い尽くす絵画」実験的かつ偶発性を含む作品群の制作を通して、絵画という永遠なる命題に突破口を見出そうとしてきました。

このように自立したオリジナルのマテリアルを用い、そこに偶然性を引き込みながら制作してきた村井は、本展においてはその段階をさらに一歩推し進めてゆきたいと考えています。たとえば「着る絵画」、「回転する絵画」は確かに物理的な枠組みを超えることには成功しているものの、「着る」あるいは「運動体となる」という目的や現象の枠組みの中で成立しているに過ぎない。その目的は作者本人の中にあり、その枠組みをさらに乗り越えてゆくためには別のベクトルの力を加えることが必要となってくると村井は考えます。主体による概念的な枠組みが不可視となるためには他人との関係性という力が有効なのではと考え、村井は同世代のアーティストである庄島明源と野島健一と連日に渡る議論を繰り返してきました。

制作の駆動力となる村井自身の主体は庄島との議論の中で変容し、形を失い、その過程を野島が記録してゆく。制作の過程で一旦形成されつつある村井本人の主体を他者の主体により一度抹殺し、表現者自身の主体を無力化することによって絵画を村井のパーソナルな意図から解放しようという実験的な狙いです。ディスカッションのプロセスで揺さぶられる表現の物理的かつ概念的土台が、さらなる議論の中で完全にフォームを失い消失することで、主体が消えオムライス絵具による表現だけが残る。そこに初めて過去の絵画の形式や既存の事象をまったく想起させない、絵画のオリジナルが立ち現れると村井は考えています。

過剰さと混沌において鑑賞者を圧倒してきた村井の絵画が、同世代の他者とのディスカッションを通してどのように変化していくのか、そして、それが現実的なアートのプラットフォームで成立しうるのか。「村井のいっぽ」と題されたこの個展で、果たして村井は自らが掲げる課題を解決することができるのでしょうか。表層的なイメージの創出を超え、カオスのように見えながら、最終的には確立された美としての視覚体験を濃密な空間に展開する、挑戦的なプレゼンテーションが展開されます。

「村井のいっぽ」アーティストステートメント
村井は今展覧会、絵画における絵具と人間の関係性を刷新するための実戦をおこなう。
この実戦をおこなうにあたり、村井は自分を含めた3人の人間、庄島明源、野島健一、村井祐希を制作のための装置にした。村井と庄島は互いの制作原理を暴き出し、主体の抹殺合戦を繰り広げる。野島はその過程を形式として示し、記録していく。 この様な制作の中で、3人の主体の関係性は目まぐるしくスピンする。 絵具はその勢いで私達の元から己を自立させるタイミングを見計らっているのだ。
「オムライス絵具」はキャンバスの枠組みを描画した絵画を成立させて、村井を驚かせた! 実戦的制作は主体の思考を思わぬ方向に飛躍させ、強靭な柔軟性を持つ絵具がそれを可能にしているのだと村井は確信したのだ。 この実戦は絵具を人間の道具から解放するための革命である!
村井 祐希