小川信治

干渉法 ー 鏡像とロンドによる

2017年10月13日(金) - 2017年11月15日(水)

《アントワープ-ジュネーブ2》 2014-15, アルシュ紙に鉛筆、110 X 150cm ©Shinji Ogawa / MAHO KUBOTA GALLERY
《ロンド4》2017, アルシュ紙に鉛筆, 75.8 X 149.8 cm   ©Shinji Ogawa / MAHO KUBOTA GALLERY
《キューバのチューリップ》2017年, 紙、切手、鉛筆, 56.1X76.8cm ©Shinji Ogawa / MAHO KUBOTA GALLERY

MAHO KUBOTA GALLERYでは10月13日より小川信治の個展「干渉法 – 鏡像とロンドによる」を開催いたします。

本展は110 x 150 cmという大きなアルシュ紙に鉛筆で描かれた新作を中心に、大小の鉛筆画の作品、切手をモチーフとしたコラージュの作品、小さなフォーマットに小川の表現世界が凝縮されたポストカードの小品など、14点ほどの作品で構成されます。

日本の現代美術史上、あるいは対象を世界に広げてみたとしても、小川信治の作品の方法論と制作手法に近い例を見つけることは極めて困難です。 昨年の千葉市美術館の個展の展示室の導入部にも見られた通り、現在の小川作品の主軸にあるのは大型の鉛筆画です。少し遠く離れたところから眺めると既視感を伴って古いモノクロームの大型の写真のように見える作品。近寄って目を凝らすとそれがアーティスト自身の手によって気の遠くなるような時間をかけて制作された鉛筆による作品であるということに気がつき鑑賞者はまずその比類なき描写技術に目を奪われてしまいます。

しかしその大型の鉛筆画は鉛筆による超絶技巧を見せるための絵画ではありません。小川の興味は既存のイメージを超絶した描写能力によってなぞっていくこととは全く別のところにあります。 作品の強度が確かにその卓越した技術に支えられていることに間違いはありません。ただ、その技術は、誰もが見たことのない恐るべき世界を立ちあげるための手段にすぎないのです。小川が表現する誰もが見たことのない恐るべき世界とはいったいどんな光景なのでしょうか。

たとえば、「Without You 」というシリーズの作品群では、誰もがよく知る名画や映画のシーンの中の人物を消し去り、その不在のスペースに元の作品では描かれていなかった背景が描かれています。主体の不在を忘れるほどにシームレスにつながって統一された世界は主体を失ったことにより凍結されたように完璧な姿を見せています。また、本展でも展示される「対称/非対称」をテーマとした作品では運命の双子のようにその姿を同じにする二つ建築物、多くの場合は塔をともなった二対の建物が画面の主題の位置を占め、その背後には反対に非対称な世界が広がってゆきます。自然界には存在しえないその奇妙な光景のもつ強度は鑑賞者の思考の奥のもっと深い部分、潜在意識に直接アクセスしてゆきます。それはまるで唐突にロールシャッハテストを見せられた時のように反射的に意識を揺さぶり強烈な視覚体験をもたらすのです。

また、「Rondo」というシリーズでは同じイメージの繰り返し、あるいは反復が驚くべき世界を作っていきます。例えば世界のどこへ行っても月が追いかけてくるように。場所を変えても繰り返し立ち現れる風景は多元宇宙への扉を開けてしまったかのような幻惑をもたらし、傷というバグによって同じ音符に立ち戻るアナログレコードのようなノイズを発しながらも、古典音楽のように実に優雅に展開されていくのです。

こうして見てみると、作品の技法こそ人の手による凄まじくも細密な作業であったとしても、小川の描く世界は実は多分にデジタル的な成り立ちをしていると考えることができるかと思います。 その世界はあたかもコンピュータのアルゴリズムに従って無機的かつ確率論的に発展していく記号の海であり、図像の重なりでもあります。世界はときに創造者である小川自身の意思や決定を超え、記号や数式を隙間なく張り巡らせながら無限に展開を繰り返していくのです。

このようにアナログ的な感情の一切を廃した地平の先に見えてくる独自の世界を小川自身はどう捉えているのでしょうか。

「この世界は外に存在する多世界の干渉の結果としてのモアレ(干渉縞)のようなものではないか」と小川は言います。太陽光が7つの色の光にわかれ、その光が再びあわさることによって私たちの網膜に浮かび上がってくる世界と同様、この世界はいくつかの世界の投影が合わさり、干渉し合うことによって立ち現れているのではないかと。

こうした視点から世界を眺め、そこにいくつかのルールや操作を加えることによって世界は質的、あるいは量的にいかようにでも変化していくことができる。その実践こそが小川の作品を過去にも現在にも例をみない特別なものにしているのではないでしょうか。 そこには素粒子の単位から宇宙の広がりさえをも捉えるような恐るべきまなざしと、人の思考をはるかに超越した時間軸と空間軸の絶え間ない干渉の反復と運動があるのです。そして作品に着手した時点では、小川の脳裏にぼんやりと描かれているに過ぎなかった世界の図像は制作が進むにつれ、アーティストの計画を離れ、自立した絵画的生命をもつようになります。 初期の頃から小川の作品がルネッサンス絵画や宗教的な建築物と親和性があるということも含めて、そこに時に神の視点すら感じることがあると言ったら飛躍しすぎているでしょうか。 ともかく小川信治の作品によって私たちに投げかけられた謎は、簡単には解読されぬまま、あらたに投げかけられる次の謎へと繋がっていくこととなるのです。絵画の投げかける謎に魅了され、鑑賞者は長い時間を作品の前で過ごすこととなるでしょう。